スペシャルインタビュー vol.04 秋尾晃正さん

このコーナーでは、レジェンド財団の理事である松山真之助が、素敵な方たちにインタビューします。

今回、お尋ねした民際センター( http://www.minsai.org/ )は、これまで延べ35万人以上の東南アジアの子供たちに教育支援を行ってこられた国際協力NGOです。理事長の、秋尾晃正さんに活動のいきさつなどを伺いました。感動的なお話に、インタビュアーは胸を詰まらせそうに・・・

いくつもの壁にぶつかりながら「この理不尽は、放っておけない!」

~その涙の訳は、感激やお礼の涙ではなかった!~

松山 :
秋尾さん、本日はお忙しい中ありがとうございます。ダルニー奨学金などでラオス・カンボジア・タイなどの子供たちを支援されていらっしゃいますが、まず、そのいきさつから伺えますか?
秋尾 :
1987年にタイを訪れ、子どもたちの教育支援の必要性を強く感じました。そこで、友人41人に声をかけ、篤志で出してくれたお金(41万円)を現地に送ったのがダルニー奨学金の始まりです。ちなみに、ダルニーというのは、私が支援を決めた時に、私の膝の上に座っていた女の子の名前です。
しかし初めてのことだったので、そのお金がほんとうに現地(タイ)の子供たちに役立っているのだろうか・・と心配になり、友人だったタイ人留学生(慶応に留学していました)を頼って再度現地に飛びました。
4つの学校を訪問したのですが、ある学校で、校長先生と一緒に現れた少年少女5人が、私に会うなり泣いていたのです。 奇特なことをしてくれたガイコク人にあえて、感動しているのかと思いきや、実はそうではありませんでした。
松山 :
えっ、そうじゃなかったんですか・・
秋尾 :
ええ、一人の女の子がこう言いました。『私たちは、あなたがたのおかげで中学校に通うことができ、親といっしょに住むこともでき、とても幸せです。でも、幼馴染の私の友だちは出稼ぎ(=ほぼ身売り)に出され、家にいることもできない。どうか、あの子たちを助けてください・・・』そんなふうに言うのです。
松山 :
友達思いの純粋な子たちですね!
秋尾 :
ええ、その時です。私は強く思ったんです。たった41万円のお金がこの子たちの人生を変える。これは、自分が何か行動を起こせば、何かできるのではと・・。
松山 :
なるほど、それが原点だったのですね~。
秋尾 :
そしてもうひとつ。ちょうど私の姪が小学校を卒業したとき、文集を作り、学校から持って帰ってきました。その中のひとつに、こんなのがありました。『僕は、小学校3年の時に中学受験することをきめた。僕の友達はクラブ活動を続けていたから受験がうまくいかなかったけど、僕はクラブも辞めて勉強に打ち込み塾にもいったから、中学受験に成功した。』こんな内容でした。
その時思ったんですね、方や友達を助けてといって泣いて懇願する子がアジアにおり、一方で、友達を蹴落としてまで自分は成功しようと望む日本の子供がいる。
この違いをものすごく感じたんですね。これは、何か命をかけてできるものがあるのではないか・・・そう思ったんです。
松山 :
そうでしたか。豊かさの中にある心の貧しさと、心やさしくも貧困の中であえぐ子供たちを、ともに救うという思いがそこにはあったんですね~。
秋尾 :
それから毎年多くの人の支援金を集め、タイやカンボジアなど貧しい国の子供たちの支援を始めました。一年目は41人(41万円)、翌年は約600人(約600万円)そして、3年めは6000万円ほどに膨れていきました。ところが、そんな順調な寄付の伸びにも関わらず、実は困ったことがあったのです。
松山 :
困ったこと?
秋尾 :
ええ、寄付を受け取ってくれる子供たちがいないんです。
松山 :
ええっ?
秋尾 :
タイの東北部の貧しい村で、小学校6年生の子供たちに「奨学金で中学へ行きたい子はいないか?」と聞いてもらったのですが、ぜんぜんいない。「ゼロ」なんです。
家が貧しいから、奨学金で学校へいくよりも、親のために働いたほうがいい・・とほとんどの子供たちが思っていたのです。それほど貧しかったんですね、当時は。なにしろ、ようやく村に電気が通りはじめたくらいの時代ですからね。
そこで、友人でもあるタイ人留学生のサクダ・リー・サンコンさんに相談し、村人と話そうということになり、現地に行きました。暗くなってから集会所には、子供や親など村の人たちが150人ほど集まってくれました。
松山 :
そこではどんなお話を?
秋尾 :
はい3つのお話をしました。最初に、日本の有名な教育のお話「コメ百俵」の話です。長岡藩が他の藩からもらったお米百俵を食べないで売り、学校をたて将来の教育に生かしたというエピソードです。小泉首相の演説で引用されて一時有名になりましたね。
「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」というあのエピソードです。
そして、次に、親孝行をするとき、小学校を出た状態ならこのくらい(10cmくらい)、でも中学校をでてからなら、もっともっとたくさんの親孝行ができるよ(両腕を広げて)。そして、イギリスでは、教育こそが貧しさをなくす一番大事なこととされている、といったことを話しました。
最後に、日本では600人もの、あなたたちに会ったこともない心やさしい普通の
日本人がいて、その人たちが日本の仏さんにお布施をしています。もし、皆さんが、望むならそれを奨学金として、タイの仏さんが分けてくださいます。・・・こんな内容でした。
松山 :
うーん、素敵なお話ですね。
秋尾 :
そうしたら、一番前で聞いていた男の子が「オレ、中学校へ行きたいっ!」「親孝行した~い!」と叫んだんです。すると周りの子供たちが、僕も私もといって一斉に立ち上がったんです。
そこで、村長さんが前に進み「きみたちは、ほんとうに中学へ行きたいのか?」と尋ねると、全員で一斉に「ヤー!!」と叫びました。すごい光景でしたよ。
それから次々と違う村の学校に行きましたが、どこも同じでした。子供たちの声は、やらせじゃなかったんですね。
松山 :
わぁ~、まるで映画みたいですね。
秋尾 :
さらに3年目は、タイの県知事とも話をして、他県にも支援の輪をひろげました。ドナーになってくださった日本の農家の人たちも一緒に現地にいきました。一緒に農作業などをしながら互いの理解が進む中で、現地の村人たちのそれまでの日本人への感情がガラっと変わるのを感じました。当時はエコニミックアニマルとして、現地では強い反日感情があったのですが、「お金儲けの日本人」から「心やさしい日本人」のイメージに大きく変わるのが分かりました。
松山 :
まさに民際センターならではの素敵な影響ですね。
秋尾 :
こうした日本とアジアのつながりのなかで、逆にむこうからの支援もありました。阪神淡路の震災時も、今回の東日本大震災でも、子供たちが自主的に支援をしたんですね。今回の震災では、子供たちも自主的にお金をあつめて135万円(484208バーツ)が贈られました。陸前高田第一中へ寄付されました。(陸前高田第一中は、1995年から、毎年書き損じはがきにより、タイの子供たちの支援をずっとしてきていた学校です)
松山 :
こういう絆が育まれていたことは素敵なことですね。(インタビュアー、ちょっと声が震えています。笑)

~3つの教育支援~

松山 :
現在はどんな活動を?
秋尾 :
教育3原則というのがありまして、教育には3つの要素があります。ひとつは、人で「学ぶ生徒」と「教える先生」、ふたつめは「教える場所・キャンパス」です。そして、「教える、学ぶという教育行為」です。
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まず、生徒さんには、奨学金の提供で支援します。これはダルニー奨学金として毎年、多くのドナーの方から尊いお金を寄付していただいています。タイ(中高)、ラオス(小中)、カンボジア(小中)に寄付しています。
つぎに、キャンパスですが、学校の施設をいくつか作ってきました。学校そのものもありますが、ほかにトイレや井戸、図書館などもあります。LL(Lao Library)といって移動式の図書箱もあります。(写真)
最後に教育ですが、教える人や教育材料の支援です。実は、ほとんどの学校に教科書がないんですね。国としてはあることになっていますが、数年前に配布したから「あるんだ」というような状況で、実態的にはないに等しい。そこで、教科書の整備に支援金を出したり、指導要領(いわゆる赤ホンですね)を整備したりしています。日本における指導要領を活用するという教育システムは、すばらしい知恵だと思います。これから途上国に提供すべきソフトノウハウだと思います。
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また、日本ではブック・トゥ・スクール(Book to School)

 という活動を2012年の4月から始める予定です。これは、教科書を無償提供することと、教育内容を充実する支援をすることです。
ラオス、カンボジアでは教育予算がないので、先生の資質が十分ではありません。したがって、教育内容の向上が課題です。そこで、ブック・トゥ・スクールという教科書や教育指導書の整備支援をしています。
教育指導書(教育マニュアル)を充実していけば、先生のレベルが多少低くてもできるような指導書を提供することができるからです。

~学校がビジネス支援の場にも~

松山 :
さらに、「一校一プロジェクト運動」も進められているとか。これはどんなものですか?
秋尾 :
はい、日本でも大分県の平松知事がはじめられた「一村一品」運動というのがありますが、その学校版ですね。One School One Project といって、一校につきひとつの事業を決めて、事業支援を行うというものです。
松山 :
なぜ学校がそういうビジネスや行政的なことをするんですか?
秋尾 :
はい、実はタイやラオスの各市町村には、日本のような自治体組織がないんですね。そこで学校が村に一番身近な行政機関なのです。だから、学校を村おこしの基地にするわけですね。鶏を飼ったり、有機栽培を校庭でやれば、子供が家に帰って親に話し、それを自宅でもやりたいと言い出すといった広がりがうまれるからですね。また、民際センターを通じて、大学関係者も巻き込み、いろんなアドバイスももらえるようにしています。
支援するプロジェクトでは、必ず、3年間の事業計画を作ってもらいます。PL,BSも作り、事業家を育てることをするのです。QCやホーレンソウの仕組みも導入しました。3年間は資金援助もしますが、4年めからは自立するように進めています。さらに、成功事例を発表してもらって、広がるような仕組みも行っています。
ですから、学校は、子供を育てる教育の場でもあり、親や大人を教育・支援する場でもあるのです。これは、民祭センターのユニークな取り組みです。

~これからの発展形とワールドシフト~

松山 :
これからはどんな方向をお考えですか?
秋尾 :
「教育を通じた貧困の削減」ですね。そして「平和の構築」です。
これまで政府は、道路や橋など必要なものモノ(ハード)を支援する形でしたが、今後10年くらいは、教育の充実に力を入れることが大事ではないかと思います。教育を通じての自立支援ですね。こういう形での貧困削減が必要だと思います。そういう時、日本は、教育援助で多いに活躍できると思います。
松山 :
そうするとワールドシフトは、どんなイメージになるでしょうか。
秋尾 :
私たちの活動を一言でいえば、
国際貢献シフト、ということに
なるでしょうか。
右側の箱には、国ではなく
「民」が入ります。
国は税金を扱いますが、
民は寄付を扱います。
そして左側は「教育」が入ります。
日本は、教育というソフトを
海外に提供できる国ですね。
ですから、シフトとしては、「金とモノで助ける時代」から「知識、認識、見識で自立をサポートする時代」となるでしょうか。
また、我々は、国家を背負っていない民間の活動なので、平和的な活動もできると思います。実は、タイ、ラオス、カンボジアは政治的に仲が悪いのですが、そのときに日本が間に立てるのですね。政治的に仲が悪い人たちを一つにするのは、民間だからできます。その先を大きく言えば、メコンサブリージョン(5カ国)が連合して平和的に発展するのをサポートできる民間としての取り組みができたらいいと思っています。EUのように、AUみたいなものができたらいいと思います。
松山 :
素晴らしいビジョンですね。2012年は25周年ですね。ますますのご発展をお祈りします。今日は、素敵なお話をありがとうございました。
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